いつもは学校から帰っても私の所には顔を出さない次女の次男・小1が珍しくやってきました。
週末なので、体育着や給食係のエプロンとランドセルを重そうにおろすと慎重にランドセルから何やら取り出しました。立派な「金賞」の賞状です。
「上手に絵がかけたからもらったんだよ。僕だけだったよ。」ととてもうれしそうでした。
今日はこの子を含め、4人の子のママ、次女の10代のころのとんでもないお話です。
次女、高校中退
今でこそ4児の母となった次女・30歳ですが、この子がまた結構な問題児でした。
小さい時からちょっと普通の女の子とは違いました。一緒に遊ぶのは男の子ばかり。
山へ行って秘密基地を作り、小川でダムを作り、夏も冬も外で走り回り小学校のときは紅一点、少年野球もやっていました。
珍しく女の子が遊びに来てる…と思っても、いつの間にか友達は帰ってしまっています。
遊び方が男の子なので合わない様です。
そんな次女は、勉強が苦手。
じっと机に座ってなどいられないのか授業を抜け出したり、せっかく入れた高校も一生懸命やったのは部活だけ。
あるとき、学校から電話が来ました。登校したはずの次女が来ていないと…。
だいたい居場所の見当はついています。いました!1コ上の友達の家。
私は声をかけながらその子の部屋に行きました。
親は仕事でいません。
男子も女子も5~6人はいたでしょうか。

なにやっとんだ!学校行ったふりしてっ!
こんなもんがあるからダメなんだっ!
はい、次女の買ったばかりのケータイを二つに割りました。
朝学校へ向かったものの、仲のいい先輩からサボってるとケータイに連絡が来て遊びに行ったんです。
次女のために校長室へ3回は行ったでしょうか。
あるとき、若い生活指導の先生が家庭訪問に来た時、

素行は悪いけど、優しくて面倒見もいいんです。
将来は保育園の先生になりたいって夢もあるし。
するとその先生が言ったんです。
「ぼくは自分の子供を彼女には見てほしくありません。」
あ~、この先生にはうちの子が見えてない。
結局「勉強ができて先生になった人」に「勉強ができなくて学校に居場所のない生徒」の気持ちなんてわからないんだ…。
結局1年でその高校はやめてしまいました。
春、都市部の高校へ編入
やめた高校の担任の先生や一部の先生からはとてもかわいがられていて「通信制の高校に編入できる」と教えてもらいました。
通信制高校とは
- 単位制なので、普通校では進級のための単位が足りなくても通信制では進級できる場合がある。
- レポートを期限内に出して合格点をもらい、スクーリングに一定時間数以上出席。
- 定期試験で合格点を取れば進級できます。
- もちろん卒業すれば最終学歴が高卒となるわけです。
通信制高校の入学式で校長先生がおっしゃったのが「卒業するのは2割くらい。」
案の定、勉強嫌いな次女は続きませんでした。
それでも何とか高卒であってほしいと翌年同じ高校の定時制に入りなおすことにしたんです。
定時制とはいっても昼の部でしたので、普通の高校と変わりません。
家から通えるところではありませんが、幸い学校から通える距離で働いている長女と専門学校へ行っている長男が同居していたので、そこから高速バスで通うことにして1年前同様、また入学式へ行ってきました。
ところが夏休み目前にして、学校に行けなくなってしまったんです。
今回は「いじめ」です。
次女は明るく元気ですが、責められたりSNSであることないこと書かれても委縮してしまい口答えしたり反論したりできない性分です。
保育園から小中高とほとんど同じ顔ぶれだった田舎から行った17歳に都会の風は冷たく、病みかけている次女の顔を見て高卒の資格はもういらない!とそこもやめてしまいました。

次女、本領発揮

私、働くよ!
次女は帰ってきて近くのガソリンスタンドでバイトを始めました。
次女は帰ってきて間もなく近くのガソリンスタンドでバイトを始めました。
働いたお給料は全部私に渡してくれました。
そのお金を貯めておいて自動車学校の費用にあてました。中古の車も自分で買いました。
その後、わずか19歳で結婚しママとなりましたが、子供を保育園に預けられるようになると別の保育園で補助員として働き始めました。
こどもが大好きな次女は大人気だったようで、2人目の出産でやめてしまい短い間しか先生として働いていなかったのに、小学生になった子供たちが覚えていて「先生ー!」って声をかけてくれるんです。
学校もろくに出ていない次女ですが、小さい頃からの夢「保育園の先生」を少しの間でしたが叶える事ができました。
2人目も保育園に預けると今度は病院で介護員として働きました。
3人目を生んだ時に病院を辞め、ちょうど飲食店を開業したところだったので私たちと一緒に働くようになりました。
次女とは違い、孫たちは嫌がらずに学校へ通ってくれています。
学校から帰ると次女は子供たちと公園やグラウンド、体育館へと遊びに行きます。
昨日もメダカとりに行く、と出かけていきました。
子供の時同様、今は3人の息子と娘1人、よその子まで引き連れて海や野山を駆け巡っています。

最後に
3年連続で3回、高校の入学式へ行った私と次女。
そんな人はなかなか他にはいないでしょう。今では笑い話です。
短い間でしたが、長女、長男、次女の3人でのアパート生活もいい経験になったようです。
何とか高校だけは出てほしいと粘りましたが、かないませんでした。
仕事を探すたびに「学歴」という高い壁が立ちはだかり選択肢が狭まります。
でもやる気さえあれば、定時制でも通信制でも、大変ですが高卒の資格は取れます。
不登校だった長男は3年間専門学校へ行きましたが、やはり職場では大卒の後輩の方が良い給料をもらえる、と自分の子供たちは大学まで出したいと言っています。
わずか19で母となった次女ですが、社会と子供たちが頼もしいお母さんに育ててくれました。
次女には不思議な魅力があるようで、よくお年寄りを拾います。
道端に座り込んでいるところに出くわし助けたことは1度や2度ではありません。
また、孫の友達が「ここの家の子になりたい。」といったのも1度や2度ではありません。
30代半ばの男性の先輩もふらっときて泊って行ったりします。
彼女を連れてきたり後輩を連れてきたり、次女の家が常宿のようになっています。
よく来るその先輩にはいつ来てもいいように布団と着替えが用意してあります。彼の家は次女の家から数10mです(笑
ちょっと信じられませんよね。
学校の先生たちともとっても仲良し。
校長先生も子供を迎えに行った次女の姿を見かけると名前を呼びながら走ってきて話に花が咲くそうです。
そんな時、ビビりの次女は子供が何かしたのかとビクビクしているのに、だいたい他愛もない話なんだそうです。

あんな勢いで校長先生が走ってきたらビビるわっ!
マジやめてほしい!
次男・小1を迎えに行って長男・小5と長女・小3が出てくるまで校庭で他の子も交えて走り回ってれば校長先生もほかの先生も声をかけたくなるんでしょう。
でもね、私も4人育てたけど、校長先生と話した記憶なんてないよ。
良くも悪くも人を引き寄せる魅力があるんだと思います。私も次女にはいつも癒されていますから。