娘二人とやっている飲食店のランチタイムが終わり、夜の営業も蔓延防止中はお休みしているので、まったりとした夕方次女からLINEで写真が送られてきました。
小学5年生、算数の宿題「体積の公式」のページが。
すぐさま電話がかかってきました。
「ばあば~、おねがいしま~す!」
オンライン授業の始まりです。
今ではのんきに孫の相手をして、イヤになったら親にホイっと渡せるおばあちゃん(でも気持ちは35歳の実年齢55歳)ですが、若かりし頃は育児に悩んだ…本当に悩みに悩んだママでした。
悩み
- 子供が保育園・学校に行きたがらない。
- どう接していいかわからない。
- 先行きが不安。
こんな風に悩んでいるママのちょっとしたヒントになったり、ママの心を少しでも軽くすることができたら幸いです。
学校へ行けない~不登校とは
私には4人の子がいますが、どういうわけか学校が嫌いなのか、合わないのか男の子2人は不登校を経験しています。
「育て方が悪い」「甘やかしすぎだ」なんて言われたこともあります。
私が子供のころは「登校拒否」と言われていた「不登校」、学校に行っていない子供のことをそう言いますが文部科学省では以下のように定義されています。
「不登校児童生徒」とは「何らかの 心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・背景により、 登校しないあるいはしたくともできない状況にあるために年間 30日以上欠席した者のうち、病気や経済的な理由による者を 除いたもの」と定義しています。
引用元:不登校の現状に対する認識 文部科学省
遅刻や早退はしても年間30日以上欠席(病気などは除外)しなければ不登校とは定義されないんですね。
A 「学校生活上の影響」友達や教職員との人間関係などから登校しない(できない)
引用元:1 不登校とは(不登校の定義とタイプわけ)/文部科学省
B 「あそび・非行」遊ぶためや非行グループに入ったりして登校しない
C 「無気力」なんとなく登校しない、強く催促すれば登校するが長続きしない
D 「不安など情緒的混乱」登校したいが体の不調を訴え登校できない、不安からくる情緒混乱
E 「意図的な拒否」学校に行く意義を認めず自分の好きな方向を選んで登校しない
F 「複合」不登校状態が継続している理由が複合していて,いずれが主であるかを決めがたい
うちの長男の場合、Dの「不安など情緒的混乱」だったと思います。
文部科学省の説明に
〔息切れによるもの〕
家庭や学校など周囲からの期待に応えようとしてエネルギーを使った結果,心身の疲
労が目立つようになります。なぜかわからない漠然とした不安があり,それが身体の不
調になって現れ,学校に行けなくなります。
引用:上記文部科学省
不登校にも様々な種類があり、対応も様々です。
親や先生はどうしても「原因」を知りたくなります。
しかし結果、子供を追い詰めることにもなります。
うちの子の場合、これといった原因がわからず親も混乱しましたが、保育園のころから何かしら「やらなければならない」状況になると必ず「行きたくない」が始まったので「何か本人を追い詰めることがあったのだろう」と先生と話し、しばらく様子を見ることにしたんです。
学校に行けなくても社会で生き抜いて行ける子に
小学校・中学校は義務教育ということもあり行くのが当たり前。
いけない子は変わった子、家庭環境が良くないとか言われます。
学校に満足に行けなくたって、その後の長い人生を社会で自分の力で生き抜いて行ける子に育てましょう。
私が心掛けた子供への接し方コツ3つ
褒めて自信を持たせる よくやった、頑張ったって褒める。辛そうな時に気持ちを掃き出せる存在になる。時にはそっとしておく。
批判はしない 聞き役に徹し、気持ちに寄り添う。軽くアドバイスする程度にする。
存在の大きさを伝える あなたがいたから私はここまで頑張ってこれた。自慢の息子だと伝える。
現在33歳、3児のパパとなり同じ県内の都市部に自力で家を建てた長男ですが、中学1年生の時不登校でした。
友達は多いし、元気に遊ぶけどすごく人の目を気にする子でした。
中学1年生の秋、文化祭が終わった途端、突然学校へ行けなくなり中学2年生に進級する4月まで1日も行けませんでした。
当時、私が一番困ったのが家族の過剰な反応でした。
毎日友達が遊びに来ていた子でしたが、友だちにも会えなくなった長男のその時の表情は何というか…明らかに「病んでいる」感じでした。
「ちょっと休みたいだけだから、学校のことは急かさないで。」といっても、夫も義父も
「なんでほっとくんだ、学校へ行かなくてどうする!」と長男を責め立てたんです。
中学生になって頑張りすぎて、2学期から学級委員長になったのも負担だったようです。
また私も「もう中学生だから。」と急に突き放したように感じたのかもしれません。
長男の下に小4の次女と年少の三男がいて、正直私もいっぱいいっぱいでした。
昼間は「誰に会うかわからないから。」と外に出れず、でも体を動かしたいだろうと夜になると町の体育館へ卓球やバスケをしに家族で行きました。
でも学校の子が体育館にいるとわかると「入れない。」と帰ったこともありました。
家にいて何もしないのが気が引けるようで、風呂洗いや食器洗いをしてくれたり、小さい弟がトイレで使えるようにと板を切って釘を打ってきれいに色を塗って踏み台を作ってくれたこともありました。
友達が何度も来てくれましたが、顔を出すこともできず友達があきらめて帰ると会えない自分がふがいないのか寂しいのか、泣いていました。
朝、家の前を元気に登校する友達の声が聞こえると「なんでみんな行けるのにうちの子はいけないんだろう。」と涙が出ます。
その時は「いつになったら行けるんだろう」勉強はどんどん遅れる、と私も不安でしたが長男はもっと不安だったと思います。
夫は子供たちの顔色を見る事ができません。表情が明らかに変わっていくのに気が付かない様です。
せっかちな夫のあおるような言葉を注意してもまた翌日には同じことの繰り返し。
あるとき、また学校の話を持ち出していたたまれなくなった長男が2階へ駆けあがった時には私もついに堪忍袋の緒が切れて
「子供の気持ちがわからないなら黙っててっ!」
思わず怒鳴りつけてしまいました。
ただただ夫の言葉の暴力から子供を守りたい、そんな気持ちでした。
春、ついに5か月間の不登校の終わり
冬休みが終わる1月、3学期の始業式の日。
この時に行けなければ春まで無理だろうと思っていました。
その時ですでに丸2ヶ月学校に行っていません。期待はありましたが、やはり長男はいけませんでした。
内心がっかりしましたが、前日まで「行く!」と張り切っていた長男も自己嫌悪に陥っていたと思います。
しかしそのころになると、特に仲のいい友達とは家の前で会って話ができるようになっていました。
保健の先生とも話せるようになって表情もどんどん柔らかくなっていきました。担任の先生にはなかなか心を開く事ができませんでしたが。
そしてついに中学2年生になる4月。
新1年生が入ってくるこの時に行けなければ…。
この辺は子供が少なく1学年1クラスしかありません。
保育園、小学校からずっと一緒。クラス替えもなく他の地区の子が混ざることもありません。
新1年生も知っている子ばっかりです。
先輩としてこれまでのあの子の明るいキャラから「不登校の先輩」を下級生には見せたくなかったと思います。
本人も1月とは気合いの入り方が違っていました。
そして当日、休んでいる間もあきらめずに毎朝「一緒に行こう。」と呼びに来てくれていた仲のいい友達と一緒に行く事ができたんです!
これもまた大人になってから聞いてみたんですが
「なぜ行けたかわからないけどあの時は行きたかったから。」
当日の朝まで行けるかどうか不安だったと思います。
その後は特に不登校になりそうなこともありませんでしたがいつも言っていたのが
「頑張りすぎるな。無理するな。」
ついつい頑張ってしまう長男が心配でしたが、高校へ進学して最後は生徒会副会長も務めました。

私から離れられなかった長男、高校3年から別人のように
長男が3歳、私が次女のお産で入院したときです。
実家の母が上2人の子守りに来てくれましたが、長男が夜中に夢遊病のように外へ出ていこうとして大変だったと。
小6のとき、友達の家へ泊りに行ったはずが朝見ると私の横で寝ていてびっくりしたことも。
本人もどうやって帰ってきたか覚えていないんです。
小学生の時、夏休みに次女と二人で私の実家へ遊びに行った時も泣きながら電話してきて予定より2日ほど早く帰ってきました。
今でも次女は「まだ遊んでいたかったのに兄ちゃんが泣くから早く帰らされた。」と笑ってます。
私から離れる事ができなかった長男。高校卒業後もここを離れず地元で働くんだろうと思っていたら、専門学校へ行きたいと県内の都市部へ行ってしまいました。
ちょうど長女が専門学校を卒業し就職するタイミングだったので長男が卒業するまでの3年間は2部屋あるアパートを借り一緒に住んでもらいました。
高校卒業間近に付き合い始めた同級生の彼女とは専門学校へ行っている間は遠距離恋愛。
卒業後に二人とも地元へ帰ってきて就職し結婚しました。
その後転勤になり再び都市部へ。
「オレ、長男だけどこっちに家建てていいか?じーちゃんたち跡継ぎが向こうに家建てたらどう思うかな?」
「ここに居なくてもあんたはうちの長男、でも店の跡継ぎなんて考えなくていい。いい会社に入れたんだからそこでてっぺん目指して、行けるとこまで行きな。」
優しくて人当たりのいい長男、おかげで営業成績は県内1位です。
最後に
お嫁さんに頼んであることがあります。
「またどこかへ転勤になっても一緒についていってね、寂しがり屋だから。」
ちょっと変わったお嫁さんで帰省しても実家より我が家に来ます。(実家は我が家から車で30分)
我が家は余っている部屋が無いので泊まるのはいつもうちの次女の家。
お嫁さんにとって次女は小姑なんですけどね。
長男はいつもお嫁さんに怒られてばかりいますが、とても幸せそうです。
あのつらい時が今では「思い出」になり「笑い話」にもなりました。
長男のありのままを受け入れ、不登校から脱出し、とにかく褒めて褒めて育てたら…どこからその自信は来るんだ?ってくらい自信過剰になってました。
背が高くて(181cm)イケメンだ(ロバートの秋山さん似)あんたにできないことはない!いずれは社長!ってちょっと褒めすぎたようです。
これも二人の娘に「褒めすぎだ!どこがイケメンだ?」って笑われてます。
今、お子さんが不登校で悩んでいるおかあさん、そこを抜け出せる日はきっと来ます。
優しくて真面目な子ほど、ちょっとのことが気になってしまうんです。こればかりは性格です。
直そうなんて思わずにありのままを受け入れて得意なところをうんと褒めてあげてください。
学校に居場所を無くして家にいるのに、家にも居場所がないなんて状態にだけはしないであげてくださいね。
そうそう昨日長男からLINEが来ました。
「母上殿 わが城(家)の兵糧(米)が底をつきそうで候。急ぎ届けてはくれぬか。このままではかぶきとおせぬ。」
古いんですが、漫画「花の慶次」に家族でちょっとハマってるんです。
米くらい買えよ~と思いましたが、そこは「親ばか」かわいい孫のためにせっせと送ってあげました。
さてさて、じつは次男も不登校もどきだったんです。